東京高等裁判所 昭和45年(う)2292号 判決
被告人 増田蔵造
〔抄 録〕
所論は、原判決が、被告人は原判示の交差点を直進するにあたり、対面進行してきた龍仙孝雄運転の普通乗用自動車を約六二メートル前方に認めたと認定しながら、同車のその後の動静を注視せず同車との安全を確認しないまま進行したとして、この点に被告人の業務上の過失があると認定判示したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるというので考えてみるのに、一件記録を精査し、当審における事実の取調の結果を合わせて考えると、被告人は原判示の日時・場所を普通貨物自動車を運転して一方通行の道路を逆進してきて、原判示の交通整理の行なわれていない交差点を川口市方面から江北橋方面に向かつて直進しようとしたものであること、右交差点に入る手前において対面進行してくる龍仙孝雄運転の普通乗用自動車を約五〇ないし六〇メートル前方に認めたこと、被告人運転の車両は当時時速約三五キロメートルであつたこと、これよりさき被告人は右一方通行の道路を運転中、道路の凹凸のためか、誤つて手がハンドル下の方向指示器のレバーに触れ、左折の合図を出したままそれに気付かないで交差点に入り、そのまま交差点を直進しようとしたものであること、対向車両の運転者龍仙孝雄においても約五〇メートル前方に左折の合図をしつつ交差点に向つてくる被告人の車両を認めたこと、この車両は時速約四〇キロメートルで進行してきて、被告人の車両とほぼ同時くらいに交差点に入るや、交差点において右折するため速度を約一〇キロメートルに減じ方向指示器によつて右折の合図をしつつ右折の態勢に入つたものであること、右の方向指示は被告人においてもこれを認めたのであるが、被告人としては自車が直進車であるから、対向車のほうが道を譲つてくれるものと期待しつつなおも加速して直進し、対向車と至近距離に接近して衝突の危険を感じ、ハンドルを左に切りかつ急制動の措置をとつて避けようとしたが間に合わず、対向車の左前部に自車の前部を衝突させ、この衝撃によつて対向車の運転者および同乗者に対しそれぞれ原判示の傷害を負わせたものであることが、それぞれ認められる。しかして以上によれば、被告人は最初に対向車両を発見してから、これとほぼ同時くらいに交差点に進入し、その後対向車両が右折の方向指示を出して右折態勢に入つたこと(尤も、龍仙孝雄は当審において、自車は対向車両を発見する前に右折の合図をしていたように思う旨供述しているけれども、そうとすれば交差点に入るずつと以前から右折の合図を出していたことになり、この供述は被告人の供述その他関係証拠に照らして採用できない。)などを現認しているのであるから、対向車両の動静を注視し安全を確認するという点においては、一般の自動車運転者として通常順守すべき程度の注意義務はおおむね順守していたと認めるのが相当であり、本件事故の原因は、被告人が対向車の動静注視等を怠つたというよりはむしろ、被告人が誤つて左折の方向指示を出しながら、指示とは異なり、交差点を直進しようとして加速進行したため、右交差点を右折進行しようとしていた対向車の運転者龍仙孝雄をして、その際の具体的状況上、直進車に道を譲るべきか、それとも自車が先に右折を完了すべきか等につき、去就を迷わせた点に求めるのが相当であると判断される。以上の次第で、原判決は被告人の業務上過失傷害罪を認定するにつき、過失行為の態様に関して事実を誤認したものであつて、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点の論旨は理由がある。
(中野 寺尾 藤野)